昨日車を運転しながらラジオを聴いていたら、5月16日は「旅の日」だと教えてくれた

なんでも。5月16日は松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った日らしく、それを記念にして5月16日を「旅の日」に制定したらしい。

そんな話を聴いていたら、旅をしていた20代の頃を思い出したので、今日は旅の思い出について書こうと思います。

1. 古我知大学

10代も終わりの頃のわたしは、大学受験に失敗し1年間浪人生活を送っていました、でも、情熱を傾けられる何かを見つけることが出来ず、特にこの大学に行きたいとか、この分野について学びたいなどの目標もなく何となく浪人生活を送っていました、当然勉強にも身が入らず「俺ってなんのやめに浪人しているんだろう」なんて思いながら浪人生活をおくっていました。当然その次の年の大学受験も失敗してしまいました。もう一年浪人するかどうか悩んでいましたが、やりたいことや目標もなく浪人してても勉強に身が入らず無駄な時間を過ごすだけだと思い大学への進学を諦めました、でも、学ぶことを諦めたわけではありません、それならば、大学へ行ったつもりで4年間好きなことをしてみようと決めて、そうだ、大学なんて自分で創ってしまえと、入学金も授業料もいらない自分だけの心の大学「古我知大学」だなんて馬鹿なことを言って大学生活を送ることにしました。

2. 大学生活

とは言え、ただの無職のプー太郎こんな大学生活に親の援助を受けるわけにはいかないので、まずはバイトを始めました。そして、大学の必修科目は「旅」と決めていたので、バイトをして少しお金が貯まるとバックと寝袋を背負い日本中をあちこちと旅をしました、旅の移動方法はヒッチハイクあるいはひたすら歩き、一日中歩くこともありました。

歩き疲れて道端で休息をとっているときに眺めた草花たちが美しく感じたり、時折吹いてくる風が気持ちよく自然のやさしさを感じたり、野宿をしていると夜の闇に不安になったり、また夜空の星の美しさに感動したりと今までは感じることが出来なかった身近な草花や生き物たちといった自然が美しさを発見することが出来、また、雨が降ってきたり、風が吹いてきたり、遠くで鳥の声が聞こえたりと日々の暮らしの中に起きている揺らぎにいつのまにか敏感になっていました。

3. 留学

バイトをして少しお金が貯まると旅に出るということをしているうちに、もっと自分の知らない世界を見てみたいと思うようになり、「そうだ、留学だ」と言うことでインド、ネパールへ放浪という名の留学をしました。

あの頃は今みたいに情報を得る手段があまりなく、事前の情報もほとんどなく勢いだけでインド、ネパールへ向かっていました。

4. 不安

マニラ→バンコック経由でインドのカルカッタ空港へ着いて、飛行機を降りるとなんとも蒸し暑い熱気が漂い、その瞬間からこれから起こる未知なることにたいして急に不安になってきました。「俺ってもしかして、とんでもないところに来てしまったんじゃないだろうか」

そしてそれに追い打ちをかけるようにカルカッタで卸すはずの私の荷物がどういうわけか間違ってカトマンズの空港まで行ってしまいました。(奇跡的に翌日カルカッタの空港で受け取ることが出来ました)また、税関ではワイロを要求され、思わず1ドル札をポケットから取り出し渡すと、係官は急いで行けというゼスチャーで私を追いやった、そして、空港から表に出た瞬間から今度は、タクシーの凄まじい客引き、何をしゃべっているのか英語なのか、ヒンディー語なのか、とにかく大声で叫びギラギラした目をして旅行者の周りに集まってきて必死で客引きをしていました。今なら笑えるが、もしかしたら食べれてしまうかもしれないなんて本気で思ってしまいました。

今思うと生活(食べる)ということにこんな必死になっている人に出会ったのは生まれて初めてだったのかもしれない。

とにかく一番やさしそうなタクシーを選び、街までの値段交渉をしてタクシーに乗り込んだ、そして、カルカッタ市内へとにかく当座の宿を決め、一休みして街を歩いてみた・・・・・・・

5. カルチャーショック

街を歩くと、汚い、それも凄まじいほど汚い

牛の糞、犬の糞、人糞(?)そしてゴミ、またゴミ、街を歩くと物乞いの人たちがやってくる、両足のない人、目が見えない人、片手のない人、象牙病で体の一部が肥大した人、とにかくあまりの凄まじさに、状況を理解できず一週間ほどずっとハンマーで頭を叩かれているような大きなカルチャーショックの中過ごしました。

いったい何を食べ、どんなふうに過ごしたのかよく思い出せない・・・・

もしかしたら一生この街から出られないのではという不安にかられました、今思い出すと笑ってしまいますが、インドでの最初の1週間はとにかく強烈なカルチャーショックの日々でした。

6. インドに惹かれる

そして、旅を続けていくうちに、この国を旅する者はみんなそうだと思いますが、あの混沌としたインドへどんどん引き込まれていきました。

物乞いとして一生を過ごす人

とんでもないお金持ち

どうしようもない格差の中を生きる人

真理を求めて苦行する人

心理を求めて祈りをする人

悠久の時を生き続ける人

そんな凄まじいインドのエネルギーを感じながら旅を続け、そして、この混沌とした状況を受け入れるインドの器の大きさ、深さにいつのまにか惹かれるようになっていました。

そんな40年以上も前の旅の思い出でした。

7. そして・・・・

今も時々旅をしていたあの頃を思い出します。

そして、「古我知大学」での旅の体験があったからこそ、原野開拓にチャレンジしたり暮らしの基本にパーマカルチャーをと取り入れたり、という生き方を選択することが出来たのだと思います。旅をして急に生き方が変わることはなかったですが、ゆっくりと確実に40年という年月をかけて変わっていったのは確かでしたし、これからも樹木のように自分らしさを求めて枝葉を伸ばし続けゆっくりと成長していくのかも(笑)

そして、60を過ぎてもいまだに「古我知大学」を卒業で出来ずに、留年をくりかえして旅を続けています。

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