あれから3年

脳卒中から退院して3年が経ちました。

3年前、退院の日が近づいてくると、これからの生活のことを考えると不安でたまらなくなりました.

お金の事、仕事の事、工房の事、これからのリハビリの事、日常生活の事、車の運転の事などなど今後そうやって生きて行けばいいのか、とにかく不安だらけで心が押しつぶされそうでした、それでもなんとか3年間生きてきました。もちろんいまでも不安だらけですが

そこで、今日は、3年間を振り返る意味も込めて、ブログのタイトルにも使われているわたしの病気について書こうと思います。

1.脳卒中とは

2.後遺症は?

3.高次脳機能障害とは

4.易疲労性とは

5.不自由なコトいろいろ

6.自分らしく生きる

脳卒中とは

脳卒中とは、脳の血管が詰まったり、破れたりする結果脳の神経細胞へ血液が届かなくなり神経が障害される病気で、脳出血・脳梗塞・くも膜下出血を脳卒中といいます。ちなみに私は脳出血でした。

後遺症は

脳の右側に出血があったので左半身に軽い運動機能障害が残っています、軽いと書きましたが、あくまで、重い後遺症が残った方と比べたらの話で、本人にとってはとても不自由なことが多いです。見た目には普通に見えますが、腰かけている以外の動作はすべて必死です。また、身体以外にも高次脳機能障害が残ってしまいました。

高次脳機能障害とは

みなさんは、高次脳機能障害という言葉を聞いたことはありますか、私は病気になって初めて知りました。

高次脳機能障害とは、病気やけがによって脳に損傷を負うことで脳機能に障害が出て、日常生活や社会生活に支障が生じる状態をいいます。

身体の障害と違って見た目ではわかりにくく見えない障害とも言われています、症状としては記憶障害注意障害遂行機能障害言語障害・失語症などが主な症状と言われていますが、損傷個所や個人によってさまざまな症状が現れます。

高次脳機能障害の場合、退院してからが地獄と言う人もいます、私も退院したその日親族が集まって退院を祝ってくれたのですが、実はとても苦痛でしたみんなの話し声すべてに脳が反応し、特に子供たちの声がとても苦痛で凄く疲れました。また、スーパーに行って陳列棚に並んだ沢山の商品を見ていると、視覚からの情報がシャワーのように降り注ぎ目的の商品を見つけるのが苦痛でした、最近は外からの刺激に慣れてきましたが退院当初は脳が沢山の情報について行けずパニックになることもありました。

また、症状の一つに易疲労性というのがあります。

易疲労性とは(いひろうせい)

易疲労性とは、簡単に言うと疲れやすいこと言います。どこが疲れやすいかと言うと脳が疲れやすくなります。何かに集中したりすると脳が疲れてしまいまい、休息が多く必要となります。しかし、この脳が疲れるということがなかなか理解してもらえないことも多々あります。

身体の障害は理解されても、高次脳機能障害は怠け者とか甘えていると捉えられることもあり、悔しい思いをすることもあります。わたしは、個人で作業をしているのでじぶんのペースで休息をとれますが、お勤めされている方は職場の方の理解がないとかなりきついだろうなと思います。

不自由なコトいろいろ

病気になって、障害が残ると不自由なコトがいろいろあります。

身体においては

1.小走りができない・・・横断歩道を渡るときに赤になる前に渡れるか心配になります。また、雨の時でも傘をさすと体のバランスが悪くなり転倒の心配があるので、小走りが出来ずに雨の中歩くしかありません

2.階段や上り坂がきつい

3.少しで重い物を持つと身体のバランスが取れずに転倒しそうになる

4.立ったままの姿勢がきつい・・・立ったままでも体が重いので、立ち話がきつく疲れやすい

高次脳機能障害においては

1.初めての事が高い壁になっている

2.物事を理解するのに凄く時間がかかるようになった(脳が迷子になってしまう)

3.集中力が続かない

4.何かトラブルがあると冷静に対処できない

5.複数の方との雑談についていくのが難しい

6.メンタルが弱くなった

7.笑顔が少なくなった(知り合いに言われましたし、自分でも感じています)

自分らしく生きる

運動機能の障害。高次脳機能障害と日常生活に不自由はありますが、けっして不幸ではありませんでした、それは残っていた機能でなんとか木工が出来たこと、もちろん病気前に比べたら作業のスペードやクオリティーは話にならないほど劣ってしまいましたが、それでも、なんとか作業が出来たこと、そしてなんといっても支えてくれた仲間がいたことです。

また、知り合いの理学療法士の方にリハビリの意味は機能回復だけではなく、その人らしく生きる権利の回復「全人間的回復」「新しい人生の回復」「新しい人生の建設」であると、身体の機能回復一辺倒にならずに、残っている機能を活かして自分らしく生きること、人生を再構築した行くことが大事だと教えていただきました。

病気をしたからこそ本当にやりたかった、「木工の楽しさを伝える」「木工×農的な暮らし」にチャレンジしよう、そして、人生を再構築しようと不安だらけの中、仲間たちの力を借りながら原野開拓に挑みました。

運動機能に障害がある中での肉体労働が伴う原野開拓は本当に大変で挫折ばかりです。いつまで経っても草刈りばかりに追われし、小屋づくりのための柱の一本だって自分一人では立てることが出来ないし、まだまだ自分らしく生きているなんて自信を持ってとても言えませんが、自分らしく生きる過程を生きています。っということは自信を持って言えます。

そんなことを感じた3年間の振り返りでした

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4件のコメント

いつか必ず、沖縄の工房にお邪魔します!
いつも、励みになっています。

古我知さん、ご活躍を日々楽しみにしていますよ。
また、古我知さんのワークショップを受けたいです。よろしくお願いします。

琴紀さん、ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。機会があればぜひまた実施したいです。

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